先月の半ばに事務所の引越をしたが,それこそ仕事と雑事に追われ,なかなか机周りと本の整理をすることが出来ず落ち着かなかった(したがってブログの更新も出来なかった?)。この土日事務所に出て,やっと一通りの片付けをすることが出来た。あとはスタッフの人に手伝ってもらえば,これからはいつもあるレベルの「ものと精神の秩序」を維持することが出来るであろう。そして事務所を整理すると,この機に乗じて自宅の方も少し手を付けることが出来た。いままで目の前にあるものしか見えなかったのが,やっと少し遠くを見通すことが出来るようになった気がする。
それにしても,片付けることには気力がいる。特にものを捨てるのは苦痛だ。しかも,ものといってもその大部分は,紙と本で,その実態は情報だ。できれば捨てるという決断をしないまま,いつか必要になると言い訳して先送りしたくなるが,それではいつまでも片付かない。情報を整理しないままものとして取っておいても,必要なときに利用できるはずもなく,オリジナル(原本)を除けば,インデックスを作るか,さっさと捨ててしまうのが正解だ。本当に必要な情報であれば頭のどこかに引っかかっていて,また新たにアクセスすることが出来る。しかしいくら自分にそう言い聞かせても,やはりものを捨てるのは苦痛だ。
ともあれ一歩前に進むことが出来た。次は,ブログで定期的に,目を通した本を紹介し,それを介して私の意見を述べていくことだ。
私の当面の関心は,国(役人or国会)が,今次々と「増殖」している法が,その方法及び内容において,わが国のあらゆる面での活性化,充実化を阻害しているのではないかということにある。行為規範としての法は,それに規律される総ての市民が容易に理解しそれに従って行動できるものでなくてはならないというのが,私の考えだ。ところが今の法は,役人が,机上の「論理ゲーム」として観念的整合性に大きく傾斜し,「実用性」を忘れているというのが私の見立てだ。しかし「感想」を述べただけでは仕方がないから,みずからが関与できる場面で「立法」を実践しなくてはならない。当面,その場は,地方自治ではないかと考えている。
ともあれ,前に進もう。
教室のよそよそしさよ休暇明け 佐藤博美
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