マニフェストというと,一般的な「宣言」とか,廃棄物処理の過程で授受される書類を意味すると受けとられることが普通で,国政選挙において,政党が政権を獲得したときに実行する政策を予め確約(公約)する文書という意味で使われていることは余り知られていない(公職選挙法では,「政党等の本部において直接発行するパンフレット又は書籍で国政に関する重要政策及びこれを実現するための基本的な方策等を記載したもの」とされている。)。地方の首長選挙で,候補者が当選後に実行する政策を約したローカル・マニフェストも今行われつつあるが,国政と地方政治,議会の構成員と行政執行の長という違いがあるから,マニフェストの意味合いは大分違う。
わが国の(衆議院)選挙の仕組みが,政党中心・政策本位を目指した小選挙区(比例代表並立)制となったことから,政党が作成する「マニフェスト」は,有権者がどの政党に属する候補者に投票するかを判断する際の基礎的資料として極めて重要な役割を持つものとなった。しかし,実際は,選挙ビラ」とは違う「マニフェスト」を目にしたことのある人はまれだろう。なぜならわが国の選挙運動は公職選挙法でがんじがらめに規制されており,マニフェストについてもその頒布方法,場所が大きく制限されていて,実際に入手することは極めて困難な仕組みになっているからである(具体的には,公職選挙法142条の2の2項の規制である。)。
上述したように「マニフェスト」は,政党が,国政に関する重要政策,その実現方策を国民に示したもので,政党の政治活動の中核に位置するものであるし,国民の投票判断にあたって最も重要な材料となるものである。したがって,政党や候補者は(あるいは誰でも),いつでも自由にマニフェストを頒布することができ,また国民もいつでも自由に入手できることが必要である。マニフェストの自由な流通は,国民が投票を通じて政治参加するための最低限の要件であろう。何が政党の政策で何が争点かは分からないが,とにかく投票すればいいというものではない。
マニフェストを,自由に頒布,入手できるようにするということは,少なくても国民サイドには余り異論はないであろうが,政治家サイドは,自分の具体的な選挙と結びつけて考えるから,迷走する可能性がある。ここは,国民サイドの感覚で,是非,マニフェストの自由流通を実現しよう。
ただ,いうまでもなくこれは最低限の達成に過ぎない。私は,政党中心・政策本位の選挙によりわが国の政治のあり方を根本から変えるために,選挙運動の全面的自由化,政治資金規正法の抜本的な見直しが必要だと考えている。
これについては,代表民主制,小選挙区制,民主政治における政党の役割,2大政党の政策の差異,官僚と「政治家」の役割と関係,,政治とカネ,選挙運動の位置づけ,政治とマスメディア等々の問題について大まかな共通認識がないと,すぐに論じることは出来ないであろう。おって,少しずつまとめていきたい。
政治問題について,昔は結局のところ,現体制(いろいろな内容が積み込めるが)を維持するのか,総取っ替えするのかというはなはだ情緒的かつイデオロギッシュな問題ととらえられたから,わが国では近づくのさえ敬遠されがちだった。しかしよく考えてみるとそのようなおおごとではなく,私たちが生きているこの社会に続々と起きている様々問題に対して,私たちが組織する政府に何をさせるのか,させないのかという極めてプラクティカルな合理的な選択の問題であって,知的判断事項であることが明らかになってきた。今でも,政治について情緒過多な判断をする人もいるが(特にマスメディア),私はそのようなものとして政治とかかわり発言したいと思っている。
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