私は,どちらかというと本好きである。カバンの中にはいつも数冊の本をいれて持ち歩いているし,旅行や山にも同じように数冊の本を持って行く。しかしいつも本を読んでいるかというとそうでもなくて,酒を飲んだり,衛星放送で映画を見たり,スポーツクラブに行ったり,ボッとしたりで,どちらかというと本を買うのが好きというのが実態にあっている。だからといっていわゆる愛書家ではなくて,一流の本というより,二流,三流の,どうだろうなというような本を買い込む癖があった。
30年ぐらい前に引っ越す時点で近所の人から古本屋さんみたいだといわれていた。それから年に数百冊の本は買っていたから,これまでに買い込んだ本は優に一万冊は超えているだろう。
最初は本を売ったり捨てたりすることはとても嫌であったが,事務所を移転するときに本を置いていったり,自宅にある本もどうしようもなくて処分したりで
,最近は何とか本を処分できるようになった。そして昨年8月に事務所を移転したときに,相当数は新事務所に移動したが(法律書以外の本もたくさん置いていたのである。),段ボール箱90箱分を自宅に移動し,一時的に別の場所に置かせてもらっていた。しかしいつまでもそうするわけにも行かないので,今回の地震を契機に,それまでの自宅保管分も含め,一週間前から整理をはじめ,結局,相当部分は捨てあるいは事務所に送り(これで事務所も満杯である。),昨日,段ボール箱約40箱を,BOOK OFFに,後は何とか自宅(及び事務所)に収納することができた。
あたりまえだけれども,本の内容(少なくても題名ぐらい)が,頭のどこかにひっかっかり,自分で考えたり,感じたりする際の,潤滑油や手助けにならない限り,本は存在しないのと同じだ。だから,実は目を通したかどうかもおぼろげな本が深くしまい込まれてどれだけあっても,余り意味はない。むしろ,頭の背後から重くのしかかる頭痛の種と化していた。これで相当すっきりすることができたというのが偽らざる感想である。。
これからは,本を読んでから新しい本を買おう。読んだ本は必ず何かの滋養にしよう。と,相当幼い反省をして,これからの本と一緒の人生に踏み込むこととしよう。
ところで,紙レベルの本は今後どうなるだろうかという問題がある。私たちは,とても興味深い時代を生きている。普通に考えれば電子書籍は情報ということに親和性があって,なかなか内容を読み込むということにはつながりにくいが,いつまでもそうか。私は,Amazon Kindleで英書を百冊ほど買い込んでいるが,これについてじっくりと実験してみたい。
本棚のどこかに悪書大西日 寺井谷子
渡り漁夫荷に一冊の文庫本 近藤一鴻
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